以前はシャレこいて高いコーヒーだのエスプレッソだのを飲んでいましたが
(マシンも買った。でも数回使っただけでマシンは今、物置で眠っている…)
現在は飲み物の中心はお茶。
特に緑茶の良さというのが、しみじみわかるようになり
産地別・品種別に売られているのを買ってきては
少しずつ楽しんでいる。
玄米菜食の本を読むと、たいてい『中庸』という言葉が出てくるのだが
これは食べ物を『陰』と『陽』で分けて考えるため。
はじめて目にしたときは、あやしい…と思ってしまったが
食べ物の成分でいうと
『陰』はカリウムで緩める力、『陽』はナトリウムで引き締める力なんだよ、という説明で
納得。
そして食べ物には体を温める作用と冷やす作用がある。
遠く離れた南の国の食べ物は体を冷やす、などというのも通説だ。
なのでできるかぎり、地元で取れる食べ物を食べて
(近くで取れるものが人間にとっては中庸の範囲なのだそう)
中庸を保っておくと、精神的にも極端に落ち込んだり、妙にハイになったりすることもない。
完全な玄米菜食ではないけれど、三ヶ月続けてみて思ったことは
体調も良くなったけれど、少しずつだがマインドの方も変わってきたと思う。
中庸、というと平凡、という意味に捉えがちだし
特に若かりし頃は、平凡なんて嫌じゃ! という自意識過剰なオレだったのでよくわかる。
しかし中庸でバランスを保っていた方が、
余計な力を入れなくても好きなことがするっとできるのだ。
これは自分でも笑ってしまうけれど、最近の私は仕事の中に個性とか自分らしさを
全面的に出すのを止めた。
仕事は人の役に立って、お金をもらうためのシステムだから
相手の人が望むように、順調かつ円滑に進めることが大切で
「私が、私が」が前面に出てはいけないのである、と思うようになったのである。
それに、生きているだけで、もうその人はその人以外の何者でもないのだから
力入れて「個性!!!」とか「私らしく!!」とか思わなくてもいいじゃん。
…というようなことも、非常なハイでもなく、ものすごいどん底の気分でもない
ぽわんとしてバランスのいい状態で、ようやく思えたことだ。
中庸って、おそらくそういうこと。
ところで昨日、ひさしぶりに嫌なことがあり
気分が落ち込んでいたのだが、そして似たようなことは去年の11月にも起こった。
これは、まあ私が成長していないから似たようなことが起こって成長を促されるのだ
という説もあるが、何だかそういうネガティブで自分を責める考えからも
そろそろ抜け出す時期に来ていると思う。
折も折、
ちょうど私は、感謝の分量を増やして、嫌なことはできるだけ水に流してしまう、というのを
次の成長の課題かしら、と本などを読んで漠然と思っていたところだったので
前と同じできごとを目の前にして、成長しているかね? と
案外そこのところを試されているのかもしれない。
またちょっと成長期に入ったかなあ。
そういう気がします。