東京について思うことは
素敵な器とか映画とか舞台、
私が生まれた街には絶対にないものがある…それはたとえば
世界中から集まってくる情報だとか、考え方
時間の流れ方が独特で
新しいものが生まれる中心の空気があり
人がたくさんいる分、職業も様々で
受け容れられるものの容量がともて大きいところだ。
そして、そういう素敵なものに囲まれながらも
最終的にそこを好きでなかった理由は
本当の意味で、知り合いとか友達と呼ばれる関係を
そこに根を張って作ることができなかったからだと思う。
そうできなかったことには、いろいろあると思う。
自分自身がうまく開かれていなかったところも大きいけれど
原因を自分だけに求めすぎるのもばかばかしいことだ。
そのときしていた仕事を、人間関係を含めて全然好きでなかったとか
そういう環境のことを
今は冷静に、突き放して見られるのでよくわかる。
だから今、生活のベースを札幌に移して
仕事をしながら…いろいろ大変なこともあるが
基本的に向いていることをやっているし
それでのんびり生活をして、お茶も飲み、映画も観て
好きな本を買い、そういう時間で
いろいろと磨り減った部分をある程度補ったときに
多分準備が整ったのだと思う。
東京で、tomokoさん会って
地元の素敵な喫茶店に連れて行ってもらった。
コーヒーもとても美味しかったし
ホットケーキも久しぶりに食べられて
何だか嬉しい。
食べ終えた後の私たちに
「どうぞゆっくりして行ってくださいね」
とお店の人が声をかけてくれたところとか
お水を頼んだら、小さなピッチャーまるごとテーブルにおいてくれるところとか
当たり前だが…東京の街の中にもこういうほっとする空間はいくつもあり
その中には絶対自分が好きになるものがたくさんあるはずだったのに
そういうものすら掴みとれないくらいのすさみ具合だったことよ!と
いまさらながら3年くらい前の自分のことを思い返したり。
tomokoさんは、きりっとしてシャープな側面がときどき鋭い光みたいに
見え隠れするところがとても素敵だった。
とてもまじめにいろいろなことを考えていて
そして猫のことを話すとき、その瞬間の表情が
とても甘くきれいになるのだ。
彼女が口にする
「ももちゃんは」
とか
「なおは」
という言葉は本当に蜜みたいだった。
愛し、愛されているなあ! という感じ。
そういう時間を東京で過ごして
お茶もたくさん飲んで、買い物もして
桜を眺めて電車に乗った。
帰ってきたら札幌は冬で、雪もまだがんがん残っていた。
そして、東京を前よりうんと好きになっていた。
また遊びに行きたいし
札幌-東京-香港を行き来するお茶の先生のように
仕事でパートタイマー的な住人になれたら素敵だろうな、と思う。
好きになるまで時間がかかったが
だからこそ時間の分だけしっかりと好きでいられると思うのだ。