引き出しを開けて、ライターだの肝心のお香本体だの
いろいろ捜していたところ、和ろうそくがあったことを思い出しましたよ。
以前から
「仏壇にどうかなあ」
と思っていたところを、朝の6時に墓参りに行くというので
強制的に叩き起こされ(行くから起こしてって頼んであったんだけれどさ)、
目も半空き、ぼーっとして状態で車に乗りつつ
「和ろうそく…」
と頭の隅っこで考えていたわけです。
こちらは今日、父の実家の仏壇へおすそわけ。
こちらは自宅で使用することに。
どちらも自分で買ってきたり、もらいものだったりするのですが
そして眺めては
「きれいだなー」
と楽しんでいたものだが、やはりこういうものは使ってなんぼなのだ。
そして使うのをもったいながっているよりは
「使ったらまた買いに行こう」
と、人にあげて喜ばれた方がいい。
(実際に「え、いいの?」ともらった人は喜んでいたよ)
何よりまた新しいものを買いに京都へ行く楽しみもできるし
この方がいいんじゃないかなあ、と思った次第。
最近、純粋な意味での収集に
ますます興味がなくなってきている。
お茶やお茶器もうわべだけ見ると収集だが
お茶は飲んだらなくなるし、器は普段使いの道具として活躍するので
「ただ飾っておいて、ときどき眺めるもの」の比率が
私の周りでどんどん少なくなっている。
服も同じで、べたな言い回しだがたんすの肥やしになっているものの数は
以前と比べてうんと減ったし、化粧品の数も激減…本当に必要で
なおかつ使うものだけに絞り込まれてきている感じがする。
相変わらず本だけは増え続けているが
本は生き物だし、何度も繰り返して読むものでもあるので
場所をとられることにきちんと意味を見出すことができる。
手離したり、消費することに以前ほど抵抗を感じなくなったのは
物質は使いまわしてこそ意味がある、という考えに
スイッチが入ったからだ。
浪費でもなく、後生大事にしまいこむでもなく
意味のある使い方を。
なので最近、身の回りでは
いい感じでものが流れて、回っている気がします。