ついさっきまで思っていたのだけれど
ここはひとつ、やっぱりお茶にしてみようや、ということで
試してみました。
"清香極品鉄観音"
特にできがいいといわれている
2001年の茶葉を買うことができたので、
わくわくしながら淹れてみます。
そして…何ともふくふくしたいい香りではないですか。
お茶の色はとてもきれいな金色だし
何よりグラスとピッチャーに入れて
お盆に載せてリビングから
自分の部屋まで運ぶ間も
ふくふくふくふく香ります。
素晴らしいではないですか。
何だかこういう微妙な香りや色、感触というものを
私はだいたいの場合植物から教えられている。
石鹸を作りはじめてから
風呂場でふとした瞬間にたち昇るベルガモットの香りにびっくりしたり
お茶の甘みや香りも知った。
だいたいこういうものは、ざわついた気持ちではとてもじゃないが
感覚として受け止めることができないのだ。
お茶の甘さや香りがわかるということや
温度とか色…今日はちょっと濃かったなとか渋みが出たな、とか
生活全般でなくて全然いい、だだひとつかふたつくらい
神経のざわつきをなだめて、耳を傾けたり
気持ちを研ぎ澄ます時間を腹の底からちょっとだけひねりだせるがどうかの問題だ。
私の場合はたまたまお茶だが
これがお酒とか、音楽とか運動だという人もいるだろうし
そういうものがあるのとないのとでは
世界の見える角度が少し違ってくることだろうな。
別に全人類何か趣味を持て! と言いたいわけではない。
気持ちを逃がす何かがあると、
ただでさえ生きていくのはいろいろなことがつきまとうので
楽できるところは少し楽した方がいいのではないか? いうことです。
お茶の香りの前だと
仕事上のごたごたは割とどうでもよくなった…だいたい今日読んだ
吉本隆明さんの本では
「会社で大事なことって、まず建物ですよ」
なんて書かれているし
毎日遊んで暮らすのが理想なんて、堂々と言っている。
お茶で芯のほぐれたところに読むと
さらに体に文章がするりと溶け込むようであることだよ。