朝食後のデザートにパイナップルケーキを食べるのに
コーヒーをいれるか、プーアル茶にしようか迷っていたときのことです。
「プーアル茶にしなさい! 私が飲みたいから」
と母が言うので
お湯を沸かし、茶器を温め、茶葉をいれてお湯を注ぎ
丁寧にお茶を淹れました。
すでに母は湯のみを持ち待ち構えていたので
それではどうぞ、
と彼女に先にすすめてみたのです。
すると。
母、一煎目の一番香りがよくておいしいところを
全部自分の湯のみに注ぐではないですか。
そして彼女が用意していたのは
ものすごくでかい番茶湯のみでした。
「い、一番おいしい一煎目をひとりじめとは」
と私が絶句していると
「だって一番茶が好きなんだもの! でも欲しければ少しあげようか?」
と、一度注いだ湯飲みから私の茶杯に注いでくれようとするのをあわてて止め
二煎目を煎れてごくごく飲みました。
いや、別にいいんだけれどさ。
何だかピザで言うと、真ん中の具だけ取られたやつを食べているような
五目焼きそばだったら、あんかけの部分のえびとか豚肉とか
とにかく一番おいしいところをさっと目の前で全部取られたような
まるでそんな気分になったことだよ。
朝から、オレは。
明日でプーアル茶修行も7日目を迎えるので
次は鳳凰単叢(←この字は本当は"木"偏)、その次は武夷紅袍と続きます。
そして、わりあい地味目なプーアル茶でこれだけ好かれているのですから
フルーティーで飲むだけでうっとりするような
あれとかあのお茶に切り替えたら
一体どうなるのだろう?
親子でも美味いものはこうして本気で奪い合いになるのだから
世間でいわれているところのゆずりあいなんて
所詮はきれいごとにすぎないと
本気でそう思ったことです。